<ポール・ブリス>
1953年6月26日英国バーミンガムの生まれ。ティーンエイジャーの頃にザ・ビート ルズやスモール・ フェイセス、スティーヴ・ウィンウッドのトラフィックといった英国のバンドに魅 了され自らも音楽を スタート。ギター、ベースをマスターし、20歳の頃から曲作りも始める。70年代中 盤に英国の名ドラマー:キーフ・ハートレーを中心とした5人組ロック・グループ :Dog Soldierに参加。1975年に1枚アルバムを発表するが、これがプロのミュージ シャンとしての初めての活動となる。グループはジョン・メイオールのアメリカ・ ツアーに3カ月間同行するが、イギリスに戻ってきたら直ぐに解散。その後、ポー ルは曲作りと キーボード・マスターに2年の月日を費やし、77年頃、フィル・パーマー(ギター )他のメンバーと共に ブリス・バンドを結成。ひょんなことから、そのテープを耳にしたドゥービー・ブ ラザーズの面々に気に 入られ、彼らの全米ツアーでオープニング・アクトを務めることに。さらに、ジェ フ・バクスターの推薦も あり、米Columbiaと契約が成立。ジェフのプロデュースで、1978年に初のアルバム 「Dinner With Raoul」をリリース。さらに、翌79年にもアルバム「Neon Smiles」 をリリースし、当時のAORシーンに 大きな旋風を巻き起こす。特に「生涯を通じて一番好きなアーティストはスティー リー・ダン」と語る程、ポールの音楽性は彼らからの影響が大きく、作風、ヴォー カル・スタイル、いろいろな所にドナルド・ フェイゲンの影を見つけることが出来る。その辺りが、ウルサ型のAORファンか ら高く評価された要因と 言って良いだろう。また、その2ndアルバムに収められていた名曲<How Do I Survive>が現マイケル・マクドナルド夫人のエイミー・ホーランドにカヴァーされ 、1980年秋に全米チャートの22位まで上昇する。これがキッカケとなり、ポールの ソングライターとしての手腕に大きな注目が寄せられるようになる。  ブリス・バンド解散後、ポール・ブリスは英国EMIから1枚シングルをリリースす る。タイトルは<Tear It Up>。残念ながらヒットするには至ってないが、英国ポ ップ界の名プロデューサー:クリストファー・ ニールが彼の才能を高く評価し、シーナ・イーストンのデビュー・アルバムでポー ルの作品を採用。また、 この頃、イギリスでの音楽出版社が一緒だったことからスティーヴ・キプナーと知 り合い、彼とのコラボレートをスタート。その最も初期に書いた1つ、オリヴィア ・ニュートン・ジョンの<Heart Attack>が1982年の秋に全米第3位まで上がる大 ヒットを記録し、本格的にソングライターとしての道を歩むことになる。以後、バ ーバラ・ディクソン、ホリーズといった英国勢から、アル・ジャロウ、ローラ・ブ ラニガン、ジャネット・ジャクソンといった米国ポップ界のスター・シンガーたち 、さらに、セリーヌ・ディオン、 松田聖子まで、ボーダーレスに佳曲を提供。80年代を通してレヴェルの高い作品を 送り続けた。  90年代に入ると今度は英国の名グループ:ムーディー・ブルースに参加し、そこ でキーボードを担当。キッカケは91年のアルバム「Keys Of The Kingdom」でプログ ラミング等のお手伝いをしたからだが、 メンバー全員がポールの仕事ぶりに高く評価。最初は5日間の予定だったセッショ ンが数週間に延長され、ついには「ツアーにも参加してくれよ」とまで熱望され、 今でも正式メンバーとして1年間のうちの半分くらいは彼らのツアーで世界中を廻 っている。  そして、そんな忙しい時間を縫って完成させたのが今回のアルバム「The Edge Of Coincidence」。 もともとは、ムーディ・ブルースのFCがポールにソロ・アルバムをリリースして 欲しいとラヴ・コール したことから生まれた作品であり、ここには、コンポーザー、ヴォーカリスト、そ して、プレイヤー、 プロデューサーとしてのポール・ブリスの音楽的な集大成が刻み込まれている。A ORファンにとって 嬉しいのはブリス・バンド時代の名曲<How Do I Survive><Chicago><Rio>の セルフ・リメイクで あり、中でもアレンジを大幅に変えた<How Do I Survive>は必聴の仕上がり。ま たその他にも、アル・ ジャロウに提供した<Telephathy>、セリーヌ・ディオンに提供した<If Love Is Out The Question>、 グラハム・ナッシュに提供した<Innocent Eyes>、フランシス・ラッフェルに提供 した<Heartache To Heartache>等を収録し、間口の広い作曲能力と伸びやかな歌声を存分に披露してい る。