<エイドリアン・ガーヴィッツ>
1949年6月26日ロンドン生まれ。父親のサム・ガーヴィッツが シャドウズやキンクスといったバンドのツアー・マネージャーを やっていたこともあり、5歳年上の兄ポール・ガーヴィッツ同様 エイドリアンも小さい頃から音楽に親しんでいく。8歳から ギターを始め、15歳になる頃にはすでにプロのギタリストとして 英国のいろいろなアーティスト(ビリー・デイヴィスから スクリーミング・ロード・サッチまで様々)をバック・アップする ようになる。その後、彼は<Reflections Of Charlie Brown> という曲をヒットさせたRuperts Peopleに加入しますがバンドは すぐに解散。その後は自己のバンドを結成し、パブなどで演奏を 始める。そして、兄ポールのバンドThe Knack(もちろん、あの 有名バンドとは同名異人)とジャムった時に確かな手応えを感じ、 結局はリード・ギタリストとしてそのバンドに加入。 主にロンドンでギグを重ねた彼らはグループ名をThe Gunと変え、 大手のCBSから念願のレコード・デビューを飾る。 そして1968年、エイドリアンの書いた曲<Race With The Devil>が 全英チャートで最高8位まで上昇した他、インターナショナルな ヒットを記録。まだ10代だったエイドリアンはいきなり大きな成功を 手にするのだった。
その後も元スプーキー・トゥースのドラマー:マイク・ケリーと Three Man Armyを結成したり、続いて、ジミ・ヘンドリックスの バンド・オブ・ジプシーにいたバディ・マイルスのバンドに参加し、 この時の米ツアーで出会った元クリームのドラマー:ジンジャー・ ベイカーと後にBaker Gurvitz Armyを結成。さらに70年代中盤には ムーディー・ブルースのグレアム・エッジのリーダー作で "featuring Adrian Gurvitz"とクレジットされたり、彼のサウンドは 一貫してブリティッシュ・ロックのメインストリームを歩み続けた。 そんな筋金入りのロッカーが1979年、いきなりAORに転身し、 世の中をアッと言わせた。LAで行われたレコーディングには、 スティーヴ・ルカサー、ジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチ他 TOTOの面々がこぞって参加。その他にも、ジェリー・ヘイ、エド・ グリーンを始めとした名うてのセッションメンが多数参加し、 ソフト&メロウな歌声で一躍注目を集めるようになる。 彼がこれまでにリリースしたオリジナル・アルバムは以下の通り。

1. Sweet Vendetta (1979:Jet) 2. Il Assassino   (1980:Jet) 3. Classic (1982:Rak) 4. Acoustic Heart (1996:Playfull/Sunset Blvd.) 5. No Compromise (2000:Cool Sound) 6. Classic Songs (2000:Cool Sound)

ELOで同じみのレーベルJetからリリースされた1.は世のソフト& メロウ・ブームにも乗り、特に日本でヒット。そして、2.からも <Seventeen>が日本で独自のシングル・ヒットを記録する。 さらに、3.からはタイトル曲がイギリスで最高8位まで上った他、 ヨーロッパ中で大ヒットとなる。その後、当時のマネージャーと 自分たちのレーベルを立ち上げ、そこからリリースする予定で アルバム5.を制作するが、これが結局お蔵入り。また、その頃、 母親を癌で失うというショックに見舞われ、エイドリアンは 一時期シーンから姿を消してしまう。
時の流れと共に心身の疲れを癒したエイドリアンは80年代終盤、 LAに移り、第二の音楽人生をスタートさせる。1988年、エディ・ マネーがエイドリアンの作品<The Love In Your Eyes>を レコーディングし(アルバム「Nothing To Lose」に収録)、 これが全米チャートの21位まで上昇。また、大手の音楽出版社 Warner Cappell Musicと契約したことも手伝い、彼の作品、或いは 共作曲はスティーヴ・ペリー、REOスピードワゴン、ジョン・ ウエイト、ヘンリー・リー・サマー、を始め、本当に数多くの アーティストにレコーディングされていく。そして1992年、 この上ない成功が訪れる。エイドリアンが女性シンガー・ ソングライター:フラニー・ゴールドと書いた <Even If My Heart Would Break>がケニーGfeaturingアーロン・ ネヴィルにレコーディングされ、ケニーのアルバムは勿論、 映画「Boduguard」のサントラにも収録され、一気にブレイク。 莫大な印税を手にした彼は、職業作家としての仕事を一時的に ストップ。その間に自分のアルバム制作を開始する。全編ギター・ インストで心地好いスムース・ジャズに仕上げたのがアルバム4.。 まさに“アコースティックなハート溢れる”なかなかの1枚だった。
その後、再び、他人のプロデュースやの曲提供をスタート。 ここ1年の間も、グラミー賞の新人賞を獲得したクリスティーナ・ アギレラの新作用に曲を書いたり、また、ユッスー・ンドゥールの アルバムにも1曲共作で参加。それがアルバムからの1stシングル にもなっている。そして、2000年、ひとつの区切りをつけるかの ように、これまでの音源を1枚のアルバムとして発表。 クール・サウンドから日本先行発売された後アメリカ、 ヨーロッパでのリリースも現在検討中。