<ブロック・ウォルシュ>
 1953年2月24日NYの生まれ。母親がソングライターだったこともあり、小さな頃からいろいろな音楽に触れ、12歳から作曲をスタート。その他、とにかく頭の良い人で、大学はあの名門ハーバード大学。そこで英語と詩学を学ぶが、一方で音楽への愛情が捨てきれず自らのデモ・テープをこつこつと制作。それをElektra/Asylumに送ると、当時の敏腕プロデューサー:チャールズ・ポトキンがすぐに反応し、ブロックに対して卒業後LAに出てくるようにアドヴァイス。素直にそれを受け入れたブロックは1975年にLAに移住。チャールズの薦めでリンダ・ロンシュタット・バンドのオーディションを受け合格。リンダ&アンドリュー・ゴールドの周辺でいろいろなセッションを行うようになる。
1978年にアンドリュー・ゴールドの3作目「All This And Heaven Too」をアンドリューと共同でプロデュースし、一躍注目を集める。特に名曲<Geneviere>をアンドリューと共作したことは今なお高く評価されている。その後、カーラ・ボノフのバンドでキーボードをプレイし、前述の通り彼女の来日公演に2度同行。オープニング・アクトとしてソロ・パフォーマンスも数曲披露。その歌声が感動を呼び、日本のレコード会社とダイレクトにソロ契約。実はその前、1980年頃、Aristaとのソロ・ディールが決まり、アルバム1枚分レコーディングするがリリースの時点でお蔵入り。結局、1983年に日本のみでリリースされたアルバム「Dateline:Tokyo」が彼の1stソロとなる。
その後、ブロックはポインター・シスターズに提供した<Automatic>が大ヒット(全米第5位)、さらにアル・ジャロウ、セリーヌ・ディオン、マンハッタン・トランスファー、EW&F、ベット・ミドラー、アーロン・ネヴィル、さらに、クリスティーナ・アギレラまで数多くのビッグ・ネームに曲を提供(細かなリストは「Dateline:Tokyo」のCDブックレットに掲載)。ソングライターとしての地位を確固たるものする。
そんなブロックの作品に目を付けたのが当社クール・サウンド。数々のデモ集の中から厳選した11曲を2001年、1枚のアルバム「Songs From The Moon Room」としてリリース。ソングライターとして、そして、シンガーとしての奥深い魅力を余すことなく伝えている。ちなみに"Moon Room"とはサンタ・モニカの自宅にある彼のスタジオの名前。